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モノオキ

ギフテッドは一つの例で、本来は子供の多様性に応じて教育も変わるべきだと思う/2019/08/28 AbemaPrime出演まとめ

▼当日の記事

高IQ、ギフテッド…既存の学校に馴染めない子どもたちに必要な”居場所づくり”「小学3年生の途中から、担任の先生から無視され続けていた。times.abema.tv

▼オンライン発言

▼放送中の発言

MIOさん(モデル・ラジオパーソナリティ)「だんだんと学習して、平均的な子の真似をすると上手くいくことがわかりました。だから自分の本心というよりは、この子にはこれぐらいのことを言うとちょうどいいなと言う感覚を掴めるようになりまして。」

自分「それってどれくらいの時期なんですか?」

MIOさん「3、4年生くらいですね。」

自分「出る杭は打たれるじゃないけど、出たらそういう状況になってしまうから、自分が周りに合わせて行った方がいいんだなという風になったんですね。」

MIOさん「そうですね、はい。周囲や両親に相談しても、もっと普通にしたら?出る杭は打たれるから目立たないようにしたら?というようなアドバイスを言われましたね。」

▼放送後に思ったこと

Twitterに書いたとおりではあるんだけど、画一的な教育はテクノロジーがなかった時代においては最善だったけど、多種多様な教育が受けられる現状においてでいうのであれば、それぞれパーソナライズしてしかるべき。もちろん集団での立ち振る舞いとか、50人単位で一斉に理解のために例えば動画を見て考えさせるとか、ディスカッションパーティするとか、集団ならではの教育はあると思うけどね。

学年ってのも、単に生まれた歳の区分でしかなく、小学校でいうと、4月産まれと3月産まれはそりゃ差があったもの。管理の都合よりも、この場合生徒1人1人にあわせられるような改革がいるんだろうね。