Things @Shigekixs

モノオキ

たくさんのコンテンツをコンテキストを含めて理解することで、コミュニケーションの手段が多様化して人生楽しくなるんじゃないの

最近Twitterで見たり聞いたり発信したりをまとめた雑多な自分の脳内だだもれメモです。コミュニケーションとメディアとコンテンツ(コンテキスト)周りでいろいろ起きてるなーと思っての、セルフまとめです。なにかの気づきになれば幸いです。

・・・読み進めていくとブーメランじゃんと思われますが、テキストのアウトプットは下手です。編集者さん常に募集。

なるほど、プロレスというメディアを媒介にしてそこがコンテンツ自体のごく一部がフェイクでも、プロレスというメディアがそれを許容するコンテキストをもってれば成立してる、と。

猪木自身もメディアの機能があり、そのコンテキストを知れば手かざし治療や永久電気もコンテンツとしてはアリだし、コンテキスト知ってると楽しめちゃう。そうなんだけど、コンテキストを知らないとアントニオ猪木なにやってるんだ=信用の毀損ということになる。でも、そのアントニオ猪木をコンテンツとして、またそのコンテキストを知って加えて伝えるメディア自体の信用の毀損にはならない、と。

メディアとしてのインフルエンサーの信用の担保が、インフルエンサー自体のコンテンツとそのコミュニケーション力である場合、そのインフルエンサーがピックアップするコンテンツとコンテキストが内包されちゃうんだよね。ユーザとしてはインフルエンサーに対して信用を置いているというのは、コンテンツ自体もそのコンテキストも知ってるだろうという期待は絶対ある。でも、その証左って実はなかなか難しい。

別にこれはメディアとしての部分が医学博士にもなるわけで。

となると、メディアを介してコミュニケーションの受け手はどうすれば?

答えの一つとして、先の自分のTweetにもある「受け手は少しでもいいから知ろうとする」です。なにを。コンテンツを。コンテンツを知ることの積み重ねが知識になり、コンテキストまで学び、メディア通じて出てくるコンテンツとの突き合わせができるようになる。

コンテンツを知れば知るほど、様々なコミュニケーションにどんなメディアを通じても対応できるようになる。この場合のメディアというは新聞やテレビだけじゃなく、人も。上にあるようにアントニオ猪木はコンテンツであり、メディアでもある。そう、井戸端会議におけるその参加者もメディア。

コミュニケーションが単にメディアの信用担保だけで成立するコンテンツ量の世界じゃないんです。

ここで実は30分ほどトークショーをやったのですが、お題としてはその昔家族団らんのコミュニケーションが、スマホの登場でコンテンツ消費に時間を奪い取られている、でした。ざっくり言うと。自分の答えとしては、確かにその側面はある。自宅の自室にテレビを買って貰えただけで、実際今でのコミュニケーション消費時間が、自室のコンテンツ消費時間に化けた経験は自分にもあります。

でも、もしかしたら、そのコミュニケーションが余計なプレッシャーになってた側面はあるのではないか? そもそもコミュニケーション過多かつ種類が乏しかったのではないかとも言えるのでは? と、提案してみました。スポーツや教育の世界において過剰なプレッシャー=コミュニケーション量、もっといえば、例えば親族という血縁メディアがいう「お国のため」というコンテンツとコンテキストは実のところなんのエビデンスも存在しない。でも、血縁メディアの信用は当時(いまもだけど)絶対に近い。そういう世界から、むしろ離れられ、かつ、多大なコンテンツをちゃんと消費=理解できるようになるのであれば、そのスポーツや教育において確実によい効果、もっといえばコミュニケーションのバリエーションが増えたからいいのではないか、と。

そうそう、薬物事件にまつわる回でAbemaPrimeに出演していたとき、薬物というコンテンツ、コンテキストを理解させず、メディアはただただ怖がらせるというコミュニケーションで予防している。確かにそれも一つのやり方だけど、ちゃんと薬物はなにか、コンテンツの理解をしたほうがいいってコメントしたんですよ。そうしたら、そんなの知らなくてもいいみたいな反応が返ってきて、結構悲しくなったんです。それ、コミュニケーションのアップデートにならないよ。そして、コンテンツの理解者が増えないと、予防もさらに増えていかないよ。うん。

別に自分で自分を褒めるわけじゃないけど、クイズという趣味のおかげで様々なコンテンツに興味をもてたのは人生においてとにかくラッキーだった。コミュニケーションのバリエーションが増えた。かつ、クイズの問題を作るにはファクトチェックも必須。そう、理解が必要。記憶じゃなくてね。それがあったからこそなんだろうなあ。クイズはコミュニケーションゲームなんだ。記憶力ゲームではないんですよ、これが。

===

とにかく、コンテンツを知り、コンテキストを理解して、それを正確に伝えられるようになること。そう、自分がメディアとしてそれができてるかどうか。蛇足ですがじゃあその訓練って言ったら、例えば映画のレビューを書いてもいいし、しゃべってもいいし、なんでもいいからアウトプットすること。Aというインプットに対するAプラスというアウトプットができること。そしてそれをレビューしてもらうこと。Aは映画でも音楽でも小説でもゲーム、そうコンテンツであればなんでも。

コンテンツの量が年を追う毎に増えるのはなんか否定的に取られる向きはあるけど、いいことですよ! 大人になる前に浴びるようにコンテンツを得られるの羨ましくて仕方ない。ただし、ちゃんとアウトプットできること。

とまあ、そんなことをつらつら思った1週間でした。コンテンツ大好き。