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モノオキ

百田尚樹現象は自分の話でもあった

石戸諭 @satoruishido さんの「ルポ 百田尚樹現象」を読み終わりました。

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タイトルは何かというと、仕事として「大衆の気持ちをハックしてマネタイズしてきたという見立て」「反権威という敵をわかりやすく作り大衆という味方を引き込む」においては、百田尚樹氏と自分は同じ立場に立つ当事者なのだ、という読後感より。

まずは、「大衆の気持ちをハックしてマネタイズしてきたという見立て」の話。

いやもうね、情に寄ることなく、大衆に受けるものは何かという「ユーザファーストを貫く」というのはまさにその通りで。本書にある「大東亜戦争というワードに拘らない」姿勢を見せる百田氏とそこも一緒。

自分にだってなにかしらの思想はある・・百田氏と方向性は一緒じゃないけど。ただ、自分の思想と違うことをビジネスにおいては平然と行うのは一緒。個人の細かい考えなど、ユーザファーストにおいては重要でもなんでもない。いかに多くの人に伝わるか。そこを考えている。

百田氏と自分が違うところを探したんですよ。いや、自分はファクトベースじゃないか、と。感情じゃなくてロジカルな思考をベースにしているじゃないか、と。ただ、百田氏も含めてその周りにいる人々も、違った角度・視点でまたロジカルな思考をベースにしているとも言えるんですよね。。。

加えて百田氏の根にある、「権威という敵をわかりやすく作り、反権威=大衆という味方を引き込む」話もすごくわかる。自分はその大衆側だ。

自分はいわゆるエリートではないという自覚。札幌から上京して大学に入学した時、首都圏で育ったエリート同世代との違いが、様々な生活シーンから教養からなにから身に染みた。就活も客観的な事実で言えば失敗の部類。これが自分の90年代。そう、本書で触れられている「新しい歴史教科書を作る会」の風をもろに受けていた時代と丸かぶり。もしかしたら、あのまま生活が特に変わらなかったら、現在、熱狂的な百田氏のファンであったかもしれない。

00年代だってそう。公私ともにネットの世界でずっと過ごして、世の中を騒がせたライブドアという渦中の会社に所属して駆け抜けた。10年代に入ってもそれは続く。転職した先々の同僚は立派な経歴が多いし、頭いいのなんのって。そうだよね。自分、知識量はあるかもしれないけど、広く浅くだもんね。

そして前職。ネットメディアの初代編集長に就任しましたが、その時に痛烈に忘れられない出来事があった。ああ、そうさ、別にメディア人としての何かしらの教育も受けてないよ。お前にメディアの何がわかる。所詮はおままごと。なるほど、そうだね。学術的なバックボーンも、ジャーナリストとしてのバックボーンもないよ。ふん。偉そうですな! いまだに思い出すだけで腹わた煮え繰り返る。

そう、権威=テレビ、新聞、出版、大手企業、偏差値高い大学などに対して、なにかしらの「なんだこの野郎」の反権威なモチベーションを最初から持っていた。

テレビとかの番組出演時に、自分のことを「1人の普通のサラリーマン」と表現することもあります。だって周りのコメンテーター、基本的にはエリートばかりだもの。就活でいい会社に入ってんじゃないですか。社会的に評価される肩書あるじゃんなどなど。ここは心底負い目がある。

ABEMA Primeにレギュラー出演している時、なんの回、なんの話題かは忘れましたが、隣に座っているゲストに思わずCM中に「エリートはそういうよねー、自分は叩き上げなんでそっち側にシンパシー感じますわー」的な噛みつき(表現は相当マイルドだったはず)を思わずしてしまった事実だけ頭の中にこびりついていたり。詳細は忘れたけど。

最近だと、外の会合でとあるエリートな皆様とお話しする機会があった際、チャットで思わず毒づく&茶化す実況とかしてしまい、窘められるみたいなこともあったりね。団塊ジュニア世代の1人としていい大人なのに、まだまだお子ちゃまですわ。

だから、肌感で反権威たる大衆側にいることを自覚する。さらに「反権威」で酔っ払ったらどんなに気持ちいいことだろうね、と、思ったりもする自分がいる。

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でね。考えちゃうわけですよ。この百田尚樹現象をこのままにしていいのかな、と。この現象に限らず、「大衆の気持ちをハックしてマネタイズ」という手段はあちこちにみられる。直近でも、出版という手段においてのハック話が業界で話題。業界外で目を向ければアイドルのCD販売戦術もそうであろうし、ある意味、ガチャだってそうだ。そうだなあ、一部の人にしか伝わらないかもしれないけど、ある意味、格闘ゲームにおけるハメ技だ。

最終的なマネタイズという到着点自体は、経済というゲームの上に乗ってる限りは真っ当な目標だ。そりゃ自分だってそうだ。持続可能なビジネスを作る上において、お金は稼いでなんぼである。でね、お仕事する上においてはビジョンが必要だし、たとえ言語化されてなくても根底には絶対にビジョンが存在するんだけど、自分はこの現象の根底に流れるビジョンが「権威を面白おかしく茶化して今を楽しむ」だと考えている。

それでいいの?

本書はそれを問い直す一冊だと個人的には捉えてます。百田尚樹現象以前、本書で現象の元とされている「新しい歴史教科書をつくる会」のビジョンは、本書の表現を借りると「情」でした。書き換えれば「過去のお気持ちを尊重する」。それが90年代の「大衆の気持ちをハック」する手段の根底だった。

そのビジョンを10年代に適合したのが、百田尚樹現象における現在進行形としてのビジョンとしての「(享楽的に)今が楽しければよい、権威を茶化しつつ」なのではないだろうか。

そして改めてこの世界感と結びついたところがあって。

自分視点で上記noteにある「ハックは不健全な競争社会を誘発する?」を考えるならば、この場合でいうハックは、「情」で考える人をそのまま過去に置き去りにし、現在進行形の「今を楽しむ」について来れない人を嘲笑・冷笑し、置き去りにして勝ち上がるという図式。かつ、このご時世における権威は「古くさい(表現踏み込みますが、テレビや新聞とかね)」という過去にあり、現在進行形にいたとしても全然「今を楽しめて」ない。

「楽しめてない」一例としては、大衆は「今を楽しんでいる」のに、その批判ばっかりしている政治における野党。ハックしている側からすると、過去も現在ゴチャゴチャこねくり回して批判ばっかりでどうしたいの言い切れる。それ楽しいの、と。「敵をわかりやすく作り大衆という味方を引き込む」という手段においては、つまり野党を「今を楽しんでない」古くさい過去の権威としてしまうと、楽に、低コストにハックできる。これを書いている現在、支持率が極端に低迷しているのはその結果だと思う。

自分も「過去を知ること」は好きだし、「今が楽しければよい」という競争原理に乗っていること自体は否めない。でもね、どうしても、自分とその流れに乗れた人だけ勝ち上がればよいってのは性に合わない

なぜか。「過去に拘って」何も前に進まず、たとえその先に地獄が待ち受けていても「今だけ楽しむ」という社会にいたいですか? 自分はいたくないよ。みんなで幸せになろうよ競争原理で蹴落とされる人々も一様に未来を向いて欲しいし、昔の「権威」は未来に向かせる担い手だったからこそ、改めて未来を提示する側にまわるべきだと考えるんだ、自分は。

それでいいの? の答えとして、あえて冒頭の陳腐な表現に戻すとすれば「大衆の気持ちをハックしてマネタイズ」するにしてもビジョンに「未来」の要素が必要。

ただし、権威が単純に「未来」をトップダウンで促す側になったら、というか今もそうなんだけど、現在進行形の「嫌な権威」のまま。教えてしんぜようではダメ。だからこ未来志向は、ボトムアップでやらなければならないんだ。いやもちろん、経済の原理原則で格差は生まれるよ。けどね、その差を少なくするのは、みんなで未来を向こうという気持ち、ビジョンが大事。

具体的に言えば「ボトムアップでちょっとでも明るい未来を描く」。もちろん未来は過去の延長線上に基本はあるけど、「よくわかんない校則」みたいな過去の遺物に縛られ続ける現状だってある。この場合でいう未来は「不連続の未来」。そして、今を楽しむのも構わないけど、未来だからと言って先送りにしないこと。先を見据えることから逃げないこと。自分事にする。

実は昨年末、自分自身の行動指針がブレている。そんな思いから、個人のミッションとビジョンを再定義したというのも思い出しましたし、改めてビジョンが大事なのであると、考えるに至った一冊となりました。石戸さんに感謝。

(編集担当:坪井 @YashinNoMeisou